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大阪弁の Polluxstar

 

久しぶりに心を揺さぶられた。

 

大阪芸術大学の牧 泉教授が、がんで声帯を失いながらも教壇に復帰した。このことは大阪地区の朝毎読、産経、日経の新聞がこぞって書き、 NHK が夜9時のニュースで全国放映したから知っている人もいると思うが、これほどの人間ドラマはなかなかないのではないだろうか。

 

e ブックランドは、牧教授が講義に使用した「自分の声ソフト Polluxstar 」(OKI開発)の販売代理をしているために、牧教授がソフトを購入した 2007 年3月初めから、このドラマにかかわってきた。1年ぶりの教壇復帰の日( 08 年4月 15 日)には東京から、大阪芸大(大阪府河南町)に足を運んだ。

 

初講義(情報処理概論)が行われる 10 号館 515 号教室教室は、テレビ局3社の取材チームと新聞記者が待機して、受講の学生たちが入ってくる前からごった返していた。

 

「大変な騒ぎだね」

 

定員66人の教室が、ざわついているうちに 、冗談めかしたこんな声が響いた。声を出せないはずの牧教授の声だった。聴いたことのない人には、だれの声か分かるはずもない。教壇の牧教授は口を開いてはいない。しかし声帯があるうちに何度か、教授と電話で話したことのあるわたくしにはすぐ分かった。

 

「1週間後に手術の予定で、声帯がなくなるかもしれない。すぐソフトを作ってもらいたいのだが・・・」

 

2007年3月初め、あわだたしく大阪から電話をしてきた牧教授の声そのままだった。ややかすれた声と柔らかな大阪弁のイントネーションは当時の声そのものだ。

 

こんな冗談さえリラックスした声で、滑らかにパソコンで話せるではないか。なるほど肉声にはすごいパワーがある。これが自分の声を再現する Polluxstar の威力 なのだ! この時、すでにわたくしは声の出せない教授の講義の成功を確信していた。

 

牧教授は最初に、自分が声が出ないこと、授業は音声合成の声で行うことを学生たちに伝えたが、そう言われなければ教授が声を出せないことなど、学生のほとんどは気付かず、考えもしなかったに違いない。音声合成ソフトでの講義は、それほどの出来栄えだった。日本のみか、世界でも初めての快挙だろう。

   

授業が終わると、記者団に囲まれて、取材攻め。それにもキーボードを打って即座に答えた。この模様は新聞各社に教室から直接、送稿されて大阪の夕刊各紙の社会面を写真入りで大きく飾り、その晩の NHKのニュースウオッチ9 によって 全国にも報じられた。

 

「失った声 パソコンで再び 牧さん 1年ぶり教壇」(読売新聞)

「取り戻した声 再び教壇へ 声帯切除の大阪芸大・牧教授」(朝日新聞)

「パソコン「肉声」で復帰 声失った大学教授」(日本経済新聞)

「教室に響け  PC 肉声 もう一度 妻と話がしたい」(産経新聞)

「事前録音  PC が再現 “肉声”で教壇復帰」(毎日新聞)

 

牧教授がまだ取材陣に囲まれている間に、奥さんの恵子さんが隣の研究棟で待機していると知って、一足早く研究室を訪ねた。 「授業が終わって 10 号館から出てくる学生の感じがよかったので、うまくいったのかな・・・、どうだったのでしょう・・・。」 恵子さんは授業を受けて10号館から出る学生の足取りを研究室から見下ろして、講義はどうだったかと気配を探るほどに気をもんでいたのだった。

 

「すばらしい授業でした。大成功でしたよ!」 

 

わたくしが教室の雰囲気そのままに伝えると、心配そうだった恵子さんの表情が笑顔になってはじけた。

eブックランドはオーディオ出版やお話Podの運営など、音声にかかわるビジネスをしているということで、たまたまPolluxstarのバックアップを頼まれた。いささかお門違いのような気もしていたが、こんなに人助けになって喜んでいただけるのであれば、大いに営業してみようと思う。


 

by Sanshiro 更新:2008/05/02 04:18 作成:2008/04/20 14:07

哀悼! 新風舎

 

自費出版の最大手、新風舎がついに消滅することになった。

 

弁護士が3月6日、記者会見して明らかにしたところによると、新風舎は文芸社に事業を譲渡し、自費出版の費用を払っている著者 1000 人の作品は文芸社が引き継いで出版することになるという。ただしそれには追加の費用がかかるらしい。

 

文芸社と新風舎はともに e ブックランドと接点があった。なにか不思議な縁を思わざるを得ない。

 

e ブックランドはソニーの電子書籍フォーマットである BBeB を得て、本邦初の電子自費出版ビジネスに乗り出したが、作品が沢山あるというわけではなかった。このため当時、自費出版最大手だった文芸社に提携を申し入れて、ソニーと3者での話し合いまでが行われた。

 

文芸社が紙の本の自費出版を行い、 e ブックランドが電子出版するということで提携すれば、それぞれにメリットがあるだろうと考えたのだが、ソニーが突然の業績不振に見舞われて本格的に e ブックランドを支援する姿勢を打ち出すことができなくなると、文芸社はさっさと手を引いていった。同社の経営陣はビジネスのプロなのだった。

 

だから e ブックランドには文芸社との提携話の名残が残っている。残っているなどというものではなく、 e ブックランドの骨組みそのものともいえる。だれでも出版できるダウンロード無料の e-Book 登竜門で肝試しをして、そこで読者に評価してもらえたら有料の e-Book 広場に昇格できる―というエキサイティングな仕組みがそれである。これは当時の文芸社のデジタル担当のアイデアだった。

 

そのころ文芸社のライバルとして破竹の急成長をみせていたのが新風舎だった。皇太子妃雅子さまが愛子さまに新風舎刊の『うしろにいるのだあれ』(ふくだとしお著)を読んであげているところがテレビで放映されたことで大ヒット、同社は文芸社を一気に追い抜いた。年間発行点数 2700 点、社員 360 人を抱えて全国主要都市に支店を持ち、多くの書店に専用の書架を構える大出版社にのし上がった。

 

それまでは不動の日本一の出版社だった講談社までを発行点数で抜いてしまったのだから世間も注目して、松崎義行社長は『詩人少年、社長になる』( 2006 10 朝日新聞社刊)を出版して時の人になった。

 

たった1年半前のことだが、ふり返ればこのときが新風舎の黄金時代だったということになる。出る杭は打たれるということなのか、同社のビジネスモデルである共同出版と各種の文学賞が、ブログなどでしきりにヤリ玉にあげられるようになった。

 

新風舎のビジネスの柱は大手新聞社に全国通しの広告を出して文学賞への応募を呼びかけ、1度に数千点も寄せられる応募作品のなかからめぼしい作品をみつけては自費出版の勧誘をおこなうという、いわゆる“ショービジネス”だった。なかなか賢い商売だと思う。しかしなかには勧誘が過ぎて、現実が伴わずに著者の不信を買うケースが出てきた。成功者をうらやむやっかみの風潮のなかでこれを煽る同業他社もおり、著者に約束違反で集団提訴されて破産に追い込まれた。

 

紹介してくれる方がいて松崎社長と懇談したのは、 2007 年の初めだからまさに新風舎の絶頂期のころで、新聞広告に毎月数千万も使っていた。

 

そのときも、また提訴されて雲行きがおかしくなってからも、 e ブックランドは文芸社に提案したと同じような提携を申し入れている。 だが e ブックランドの安く、早く出版する電子自費出版のビジネスモデルは、むしろ高額の費用を求める新風舎の紙本出版モデルを危うくするとみられて敬遠されたようで聞く耳はなかった。いまにして思えばまったく残念なことで、在庫を全て処分しなければならなくなったとしても電子出版のデータだけを残しての存続の道があったと思う。

 

いまからでも著者には遅くはないといえる。追加のコストを払うくらいなら、 e ブックランドでは9~12万で出版できるし、電子出版には紙本より優れたところが数々ある。
http://www.e-bookland.net/cost/index.html#ebook

電子出版ならば半永久的に保存されて、広く、多くの人に読まれる。電子出版の後で紙本出版、そしてオーディオ出版へと、eブックランドならば未来に夢が広がる。
http://www.e-bookland.net/

新しい時代の新しい出版のスタイルを、ぜひ、知っていただきたいと思う。
本ができました。売れませんでした。ハイ、それでおしまい、では思いをこめたせっかくの作品が悲しむ。



by Sanshiro 更新:2008/03/18 03:09 作成:2008/03/10 08:58

アナログ復権


最近、電車のなかで本を読む人の姿が多くなったような気がする。一時は携帯一色だったけれども、時間帯によっては、とくに午後の早い時間は携帯を手にするよりも本を読んでいる人が多いことがあって驚く。

 

人々はいよいよ携帯のデジタル文字に疲れてきたのかもしれない。慣れ親しんだ紙の上の活字でないと、目に入らない、読んだ気がしないという人は少なくないだろう。

 

一方で、デジタル文字で育った世代は着実に増えてもいるから、いまのところデジタル読書が急伸しているといったデータしかないが、興味深い現象だと眺めている。

 

5世紀も続いてきたグーテンベルクの活字文字の時代が、そう簡単にデジタル文字の世紀に移行するとは思われない。日本の情報産業そのものが、新聞にせよ、出版にせよ、まだまだ活字文字の会社を中心に回っている。活字文字の大資本は朝の読書運動を支援し、紙本の読書を奨励する超党派の議員連盟まで組織している。

 

本屋にいってみれば、いまだかつてない見事なデザイン、装丁の本ばかりである。昔だったら、即、買っていたに違いない。これもデジタル文字との競争が激しくて本が売れないことがなせる技でもあるのだろうが、こうした努力もアナログな紙本の読書への回帰を促している要因だと思われる。

 

アナログな活字文字とデジタル文字の世紀の攻防は、このように行きつ戻りつしながら続くだろう。けれども歴史の時計の針が逆戻りすることはないように、アナログ活字文字が逆襲に成功するとは思われない。

 

アナログ文字とデジタル文字の攻防より大事なのは、言葉そのものではないだろうか。考える人を人たらしめている言葉が大切にされること、それが重要なのであって、その形は活字文字であろうとデジタル文字であろうと、大して大きな問題ではないように思われてきた。

 

こんな風に考えるようになったきっかけの一つは、朗読ボランティア全国ネットワーク「お話 Pod 」(eブックランド運営)が日本最大級の朗読サイトに成長したことである。朗読賞を催したところが、大変な反響を呼んで、その勢いは2月に入っても続いている。1日に1万を超えるファイル(朗読)がダウンロードされることが珍しくない。

 

文字というものは読み方によってはなんと生き生きと迫ってくるものなのか。言葉というものは、なるほど文字だけではなく、文字と音声から成っている。この至極当たり前のことを、したたかに思い知らされる日々である。

 

朗読ポータルサイトお話 Pod が短期間にこれだけ大きくなったのは、ブログが流行するようになった理由に似ているとみている。文字だけのブログが数年、先行して流行るようになったのはネットインフラが文字のメールを送る程度しか整っていなかったからだった。これに対して朗読というアナログな声のファイルは動画と同様、容量が大きいために送ったり、聴いたりすることがとても難しい。それが ISDN 、光ファイバーが普通のことになって、添付でスイスイ送れ、また聴けるようになった。

 

かくて言葉の大切な要素である音声が、かつてのラジオ全盛時代さながら蘇ろうとしている。ただし発信する側に大きな違いがある。その昔のラジオは、上から降ってくるシャワーのようなものだった。それがいまでは、個々人が読み、語り、それを多くの人に聴いてもらって、感動を分かち合い、文字の読めない人に聴いてもらうという奉仕もしてる。いまだかつてだれも経験したことのなかったことである。

 

e ブックランドは電子自費出版の草分けとして、主にデジタル文字による表現のステージを提供してきた。縁あって多くの人に支えられて、こんどは朗読というアナログな音声の表現のステージ「お話 Pod 」を運営している。未曾有の転機のときに、大切な日本語の言語文化に奉仕できることは冥利に尽きる。

 

時代の空気を読む人は、言葉の世界で起きている小説よりも奇なる展開に大きな感動を覚えていることだろう。

                       

by Sanshiro 更新:2008/03/10 08:59 作成:2008/02/05 06:48

デジタル文字は飛ぶ


世界最大のネット書店アマゾンがアメリカで売り出した電子ブックの読書端末
Amazon Kindle を手にする機会があった。
 http://www.amazon.com/

 

軽い( 290 グラム )。おしゃれなデザイン(白色)。利用分野が広い(新聞記事から雑誌、本 10 万冊まで)。便利(キーボードで文章を打ち込んで自分の文章も読める)。

 

なんのことはない。 e ブックランドが販売協力したソニーの読書端末リブリエ( BBeB 作品を読む読書端末)に不足していると指摘されたスペック ( 機能 ) をすべて取り込んだツールである。リブリエは Sony Reader と改名、改訂になってアメリカで 10 数万台が販売されているが、 Amazon Kindle には Sony Reader にないもう一つの能力がある。

 

それはワイヤレス機能だ。携帯電話と同じように、電波とインターネットであらゆる情報を取り込み、読むことができる。この機能があるから書籍のデータだけでなく、世界中のニュースまでを入手して読むことができる。これならば広いアメリカで、 399 ドルは安いかもしれない。

 

デジタル文字はインターネットと電波で飛ぶ。これこそが紙の上に印刷された活字文字が逆立ちしてもできないことである。去年のクリスマス商戦に向けて売り出された6万台ともいわれる Amazon Kindle は、クリスマスが来る前にたちまち売り切れてなかなか入手ができなかった。

 

ただし、これはアメリカでの話である。日本ではリブリエやパナソニックのシグマブック、その後継のワーズギアが苦戦しているように、読書端末はなかなか売れない。日本は地理的に狭くて、しかも本屋がどこにでもあって本を買うのに苦労がなかったからである。 Sony Reader Amazon Kindle もいまのところ売れない日本はパスして、アメリカ市場を相手にしている。次は EU 、そして中国市場だろう。

 

しかし Amazon Kindle のように、本の情報ではなく、新聞のようなニュースまでも取り込むことができ、さらには自分の文章や会社の資料までも入れて読むことが可能な読書端末ならば話は違って、日本でも商機はあるのではないだろうか。これだけの機能があって、重さはわずかに200ページの上製本1冊ほどのものである。

 

日本の大手書店は大手出版社と組んでターミナルに大店舗を構え、ネット書店アマゾンに対抗しようとしてきた。このために地方都市の中小の本屋はどんどん潰れるという悲劇が起きていて、この結果、日本のそちこちにろくに本も読めない知的空白地帯が広がりはじめている。 e ブックランドの読者は毎年倍々で増えて、電子ブックに対する需要は確実に大きくなっているという感触がある。

 

すでに日本では携帯の人口当たりの普及率が80%台に乗り、その多くがインターネットにつながっている。紙の上の活字文字しか読んだことのなかった日本人も、液晶画面でデジタル文字を読むことに急速になじんできた。パソコンと携帯の中間のようなAmazon Kindleタイプの読書端末が受け入れられる下地はようやく整いつつあるのではないだろうか。

アメリカではSony Readerに続くAmazon Kindleの登場で、ベストセラーを出す出版社は紙本と同時に電子書籍も発売することが普通のことになってきたという。しかも電子書籍はハードカバーなら30ドル前後もするところを、Amazon Kindleは9.99ドルと3分の1ほどの値段で売り始めている。このビジネススタイルが日本に上陸したら、いったいどうなることかと、日本の大手出版社も書店もすこぶる関心が高いようだ。


eブックランドはパソコンをメインステージにしているけれども、 携帯はもちろん、新しい読書端末の登場に向けて配信するときがきたようだ。

準備を急がなければ・・・・・・。

                   自分らしく出版 その3 アナログ復権 に続く





by Sanshiro 更新:2008/03/18 03:03 作成:2008/02/03 06:27

活字文字とデジタル文字の攻防

自分の書いたものを、世の中の人に知ってもらう「出版」ということにはとても大きな意味があると考えている。

 

それが文字にかかわる行為だからである。

 

文字こそは人間を人間たらしめている人類最大の発明といわれる。人間がものを考える言葉は音声と文字から成り立っているが、「話し言葉は飛び去り、書いたものは残る」とローマの箴言がいうように文字のほうが記録と記憶に残って影響力が大きく続く。だから時の権力は文字を神聖なものと考え、文字をあやつる書記(役人)という職業は常に大事にされ、尊敬もされた。

 

習熟が難しいためにごく一部の人たちのものとされていた文字が、グーテンベルクが活版印刷機を発明( 1455 年)したことで、次第に一般の人たちのものなる。写本でしか伝えることのできなかった文字の本が、印刷機で沢山、刷れるようになり、教科書に使えるようになったことの影響は甚大だった。宗教者と権力者が神聖なものとして独占するとともに権力の源泉にしていた聖書とその文字を、多くの人々が学ぶようになった。

 

文字を教わり、読み書きができるようになった人々は、聖書をよく読むほどに現実の教会の姿を批判し、権力にまでたてつくようになる。そして宗教革命が勃発する。これによって大きな社会混乱が起きたが、しかしそれはヨーロッパの人々に新しい力を与え、科学が盛んになり、人々の考え方が変わってルネッサンスの機運が高まり、大航海時代を経て世界を支配するエネルギーとなった。

 

こうした活版印刷、活字文字の時代が 550 年以上続いてきた。わたくしたちも金属の活字で紙の上に印刷するグーテンベルクの発明の恩恵を受けて育った。文字は紙の上で読むものと考えてきた。

 

そこに久方ぶりに登場したのが電子技術を駆使するコンピュータであり、小型化して個人も使えるパソコンである。これによって文字を液晶でデジタル文字で読むというまったく新しい時代が幕を開けた。 20 世紀末、東西冷戦の終焉とともにアメリカで軍事用に開発されていたインターネットが開放されたことと連動した地球規模の技術革新、パラダイム転換である。


このことが世の中をどのように変えてゆくのか。 グーテンベルクの活版印刷が引き起こした途方もなく大きな波紋を考えれば 、超マクロ的には信じられないようなことがわたくしたちの前途に待ち受けているに違いない。

パソコンの登場は
日本人にとってはとりわけ画期的な、歴史的ともいえることだった。さまざまな影響を受けて出来た日本語の文字は複雑で、欧米の言語のように簡便なタイプライターで打つことは難しく、活版印刷に頼るほかはなかった。それがついに日本語をキーボードで打って書くパソコンというタイプライターが発明されたのである。 21 世紀になって初めて、日本人はだれでも自分で思ったことを手軽に書き、外に向かって発表できるようになった。

 

日本人は引っ込み思案で、かつまた謙譲の美徳から自ら発信することに積極的でないとよく言われてきた。しかし国際会議などで語らない“沈黙の日本人”の異名をとる不可解な日本人の姿は、じつは後天的なものにすぎなかったのかもしれない。日本人は日本語というものの難しさゆえに、写経、写本の江戸さながらの言語生活を強いられてきた。このため自然と外に向かって発言し、主張することが苦手になり、ついには性にまでなってしまっていた可能性さえある。

 

この仮説は、昨今のネット上に発信される爆発的ともいえる日本語のデジタル文字の量からも裏づけられているといえる。総務省が 90 年代から行っている日本における情報量の調査データ「情報センサス調査」によれば、デジタルな情報流通量はパソコンが一般のものになり始めた 1998 年から劇的に増えている。新聞やテレビ・ラジオ、本、雑誌の文字と音声のアナログ情報は、 2001 年の時点でデジタル情報の 10 分の1以下になってしまって、いまでは数10分の1に落ち込んでいる。本・雑誌が売れなくなり、テレビ・新聞の広告が減り、部数が落ちている一つの背景がこれである。

 

このことの重要性はいくら強調してもし過ぎることはないと思う。沈黙は金などと考える引っ込み思案の日本人がもはや少数派に転落しつつあることをうかがわせる現象が到るところで起きている。人々がパソコン、携帯を手にして、より考え、より賢くなって自ら発言するようになったことで、日本という国の社会全体が変わり始めている。

 

まさに正真正銘の変革の時代である。あふれ出るアイデアと発想を日本語のタイプライター、パソコンで書くようになった人々は、自ら発信し、自分らしく出版するために自費出版社の門戸をたたくようになっている。そもそも商業出版社の多くは本が売れなくなって、草思社が経営破たんした(1月9日 会社更生法を申請)ように、奔流のような表現の欲求を受け止める余裕さえなくなっている。

 

e ブックランドはデジタル文字の時代の表現のステージを目指して設立された。新しいツールを手にして新しい精神を持つようになった人々のために「もっと自由に、書いて輝きましょう」と当初から掲げている。

                自分らしく出版 その2 デジタル文字が飛ぶ に続く



                         

 

 

by Sanshiro 更新:2008/02/05 06:53 作成:2008/01/28 08:52

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