﻿<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?><rss version="2.0"><channel><title>横山三四郎さんのブログ</title><description>横山三四郎さんのブログ</description><link>http://bizpal.jp/eb346/</link><lastBuildDate>Thu, 31 Dec 2009 04:53:15 GMT</lastBuildDate><language>ja</language><copyright>Sanshiro</copyright><item><title>eボードの夢</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00316</link><description><![CDATA[「 e ボード」の夢 

  

石板に書いては消し、消しては書いたかすかな記憶が残っている。いつごろのことか、はっきりしないが、小学生になる前、紙も鉛筆もなくなった太平洋戦争
中のころだったかもしれない。 

  

石盤については、紙がふんだんに使える時代に育った人々には、もう少し、説明しなければならないだろう。 粘板岩の小さな黒板のようなもので、ロウ石や滑
石(かっせき)を棒状にした石筆(せきひつ)で字や絵を書く。書いた文字や絵は布で簡単に消して、また書くことができる便利な文房具だ。　 

  

さらにいえば、日本の子どもたちの筆記用具は、寺子屋のころは毛筆と墨だったが、明治初期に欧米から石板と石筆が導入されて、 鉛筆と紙が普及する昭和初
期まで、子どもたちは半世紀もの長い間、これを使って勉強した。 しかし、面積が小さく、書いた記録も残らないことから、低学年の子どもたちのものだった
といえる。 

  

石板の記憶が突然、よみがえったのは、 21 世紀ならではの石板のような便利な電子文房具のアイデアが浮かんだからだ。 

  

どのようなものかというと、テレビやパソコンのデイスプレィをイメージしてもらえばいいだろう。テレビもパソコンもブラウン管の入った四角な形から、技術
革新で薄型のものに変わってきている。ただしデイスプレィの映像を表示する部分はまだ液晶で、石板のような自在なアナログ性はない。 

  

ところがついに、手で書いては消し、消しては書ける石板のようなタイプのものが日本のメーカーの手で開発されたのである。 キーボードとウインドウズのＯ
Ｓを使わない情報伝達の手法が開発されたことは、ビル・ゲイツの呪縛から逃れることができるということでもあって、誠に慶賀に堪えない。

これを使えば、板状のデイスプレィに、軽いジュラルミンの枠をつけて持ち運びができる教科書兼文房具をつくることができる。かつての石板のように頑丈で感
触のいい木枠でもいいかもしれない。 

  

筆者は“ e ボード”と名付けているが、その特徴を列挙してみよう。


１）     液晶のように自ら発光するのではなく、自然光の反射光で読める紙に似た性質をもつ。だから電気を食わないだけでなく、目が疲れず、長時間利
用できる。 

２）     手書きで文字や絵が書け、なんどでも書いたり、消したりできるアナログ性がある。つまりタッチパネル式での利用ができてキーボードが要らな
い。必要ならばキーボードでも操作できる。 

３）     描いたりした文字や画像は、携帯電話のように電波でサーバーに送って保存、記録することができる。 

４）     “ e ボード”にはＵＳＢポートがあって、パソコンやサーバーに送ることができる。またマイクロＳＤカードのような記憶媒体から文字や映
像データを取り込んで、パソコンのデイスプレィのように、例えば教科書を表示することができる。 

５）     モノクロだけでなく、カラ―でも表示ができる。 

６）     落としたり、たたいたりしても壊れにくい。
大きさはＡ４から自在にできる。


７）     量産することで安価に製造できる。 

  

これらの性能は、 21 世紀の石板と呼ぶにふさわしい。教科のテキストをカラー表示できるので、あらゆる年次の児童生徒が使える教科書に変身し、それを
なぞって勉強もできる文房具になる。



世界には紙も鉛筆もままならない国が沢山ある。子どもたちは勉強したくてもできないでいる。 “ e ボード”にそれぞれの国の言語の教科書を組み込ん
でプレゼントしてみたい。 

  

“ e ボード”の“ e ”は、 エコノミーでエコロジーの意味でもある。 紙を使わず、地球の緑の保全に寄与する“ e ボード”の商品化の意義に
は途方もなく大きなものがあるとにらんでいる。 

  

2010 年はわたくしの新しい夢が始まる年になりそうである。 



  

]]></description><pubDate>Thu, 31 Dec 2009 04:53:15 GMT</pubDate></item><item><title>グローバル化は科学技術とともに</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00315</link><description><![CDATA[グローバル化は科学技術とともに 

  

何が人や社会を変えるのか。 人の志もあるけれども、最近、 それはなによりも技術であり、技術こそが人と社会を変え、技術が進歩するから人と社会が変わ
るのだという思いを強くするようになった。


  

グローバル化にしても同じことがいえる。飛行機のような高速移動と通信手段が発達したから、私たちも、社会も、ここまでグローバル化している。 

  

100 年前、人々は前世紀末の内燃機関の発明とその革新に夢中だった。船、自動車がエンジンで動くようになり、飛行機までが空を飛ぶようになった。アメ
リカのライト兄弟が初めて飛んだのは 1903 年だった。 

  

『星の王子さま』の著者、アントワーヌ・ド・サン = テグジュペリも空を飛ぶという熱病にかかった 1 人で、ついには郵便を運ぶ飛行機のパイロットに
なって、アフリカへ、南米へと向かう。危険極まりない飛行機乗りについて書いた小説『夜間飛行』は大ベストセラーになり、香水「 Vol de Nuit
（夜間飛行）」までが作られ、いまなお世界中の女性に愛用されている。 

  

サン = テグジュペリは 1944 年 7 月 31 日、コルシカ島からドイツ軍占領下のフランスの偵察飛行に出撃したまま帰らぬ人となったが、
2004 年春、 60 年ぶりに搭乗機がマルセイユ沖に沈んでいるのが確認された。 

  

その搭乗機ロッキード社のＰ‐ 38 型ライトニング機は高度 6000 メートル以上を高速で飛べる当時の最新鋭機で、南太平洋のブーゲンビル島上
空で日本帝国海軍の山本五十六司令長官の乗った飛行機を上空から襲って撃墜（ 1943 年 4 月）したのは同型機である。太平洋戦争で日本は技
術の遅れのために敗れたことを象徴する出来事だった。 

  

初期の飛行機ブームから 100 年、いま、世界を覆っている熱病はインターネットである。 核戦争の勃発時に負けないよう ICBM （大陸間弾道
弾）の発射の瞬間を探知するために開発された技術で、地球を１秒間に７回半回る光のスピードで伝わる電気信号を使う。このためインターネットは距離と時
間をなくしてしまう。 

  

核は、使えばやられるので戦争を不可能にした究極の最終兵器とされる。それをいうならばむしろインターネットこそは究極の不戦のための技術ではないだろう
か。世界中の民族と社会が瞬時に結ばれるようになって、日本も鎖国しての見ザル、聞かザル、言わザルはまったく不可能になった。 

　　　　　　　　　　 

　　　　　      （「 グローバル教育通信」（ 2009 年 11 月号）に書いたコラムの転載です） 



]]></description><pubDate>Mon, 16 Nov 2009 09:37:59 GMT</pubDate></item><item><title>６周年を迎えて</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00314</link><description><![CDATA[
eブックランド今昔

ネットの世界はあわただしく、１年が７年の〝ドッグイヤー〝の感覚で推移する。 2004 年秋に設立して６周年を迎えた電子出版社 e ブックラン
ドは、人間でいえば 35 歳になったということになる。  実際、本邦初の電子自費出版社はなかなか立派に育った。

これも著者のみなさま、利用者のみなさまのご愛顧のおかげで、これからも宜しくお願い申し上げます。 

  

６周年を迎えての事業として、あらたに写真による表現のステージ「 e ブックランド PHOTO ギャラリー２４」を立ち上げた。 時間はかかるだろう
けれども、 いずれ多くの写真集を展示するようになって、文字による作品群とともに e ブックランドの柱に育ってほしいと願っている。 

  

写真に向いていることもあって、 e ブックランドは使用する電子書籍のフォーマット（規格）を、 PDF に移しつつある。 PDF は米アドビ社の規
格で電子書籍のほとんどデファクトスタンダードになっているために、使わざるを得ない。 

  

これがちょっとばかり無念なのである。 

  

５年前、 e ブックランドを立ち上げるにあたって秘かに考えていたことがあった。日本人が創作を楽しみながらインターネットに親しむことが一番の狙い
だったけれども、それだけでなく、いずれは マイクロソフトの総大将ビル・ゲイツの鼻をあかしたい、なんとかして一矢を報いるチャンスをつかみたいと思っ
ていたのである。 

  

電子立国であったはずの日本は、インターネット･ビジネスで遅れをとって沈没、電気機器メーカーはパソコンの組立て工場になり下がった。しかもパソコ
ンを組立てて販売するたびに、マイクロソフトとインテルにライセンス料を支払わなければならない。なにをするにしてもビル・ゲイツにお金を貢がなければな
らない構図になってしまった。どこかでリベンジすることはできないものか。 

  

  e ブックランドは最初、ソニーが開発した電子書籍の規格である BBeB （ Broadband e-Book の略）を採用してスタートしたの
にはこんな魂胆があった。 パソコンの基本ソフトでかなわないのであれば、国産のフォーマットで情報のサービスの分野から反撃してみようと考えたのだ。 

  

ところがその直後から、ソニーの業績は迷走し始めて、電子ブックどころではなくなる。 電子書籍が紙の本のビジネスモデルを窮地に陥れることを懸念する日
本の出版業界が売れる本を出さず、巧妙に足を引っ張ったためにソニーの読書端末「リブリエ」はさっぱり売れない。ついには電子書籍ビジネスでソニーは日
本から撤退してしまった。 

  

日本市場をあきらめたソニーは電子書籍端末の開発部隊をそっくりアメリカ西海岸に転勤させて、新しい読書端末 Sony Reader を発売した。 こ
れが成功して、アマゾンにキンドルを開発させるきっかけにもなる。 米調査会社によれば、このキンドルと Sony Readerがブレイクして、
2009 年のアメリカでの電子書籍の読書端末の販売は 300 万台に達っする。シェアはキンドルが６５％、Sony Readerが３５％だという。
しかしそれは本屋が近くにない広大なアメリカでの話である。キンドルは日本でも発売を開始したけれども、いまのところはまだ英語のサービスだけ。
BBeB も読める Sony Reader の日本再上陸の話はなく、 e ブックランドはそろそろ BBeB の利用も断念せざるを得ない情勢で、
PDF を重用せざるを得ない。 

  

PDF を読むための閲覧ソフト Adobe Reader は、マイクロソフトのほとんどのパソコンに出荷時からインストールされている。 マイクロソ
フトとアドビ社が組んでのいわゆる抱き合わせ販売だ。 e ブックランドの PDF の利用もビル・ゲイツを喜ばせるばかりで、 e ブックランドの創業
時の志は裏目にでている。６周年を迎えることができたことは嬉しいけれども、気が晴れないのはこのためである。　

けれども、こんなことはもはや瑣末なことだろう。５年前、eブックランドを立ち上げたときには「文字は紙の上で読むものだ。デジタル文字などとんでもな
い」と電子出版を白い目で見る向きがとても強かったが、そんな人々はとうに少数派になって電子書籍は日常のものになった。携帯電話の劇的な普及のせいであ
る。

また日本は経済的に中国をはじめとする発展途上の国々から急速に追い上げられるようになった。知識と技術をたちまちコピーしてしまうインターネットの普
及なしには考えられない現象だ。このあたりまではほぼ予想した通りだが、悪いことは重なるものである。

史上最大規模に膨れ上がった民主党の予算編成は、日本の財政硬直化が危ういまでの動脈硬化を起こしていることを示した。不況による税収不足のせいばかりで
はない。インターネットによる世の中のパラダイムシフトを直視しようとせず、赤字国債を発行しまくって湯水のように税金を使い、しゃぶりつくしてきた報い
だ。 行政システムと公務員ばかりが肥大して事業に使えるお金はほとんどなくなってしまった。

その民主党政権は先進諸国で最も野心的な二酸化炭素の削減の方針を打ち出した。とことんの環境保全のエコな政策が正しい軌道を描くならば、いずれ緑を破
壊する紙の本をできるだけ少なくして、電子書籍でまにあうものは電子書籍で済ませるというところに行き着くだろう。まさにeブックランドの主張で、国会図
書館は2011年度からの電子書籍の配信に向けて動き出している。

e ブックランドの創業のころは、いまは昔、人々の生活までを根底から揺さぶるさらなる変動が襲ってきている。これを記録するのもeブックランドの役割に
なることだろう。すでに今日のパラダイムシフトを予見した「リバースエコノミーの時代」（福田 征孜著）のような名著が電子出版になっている。 




  

 
]]></description><pubDate>Thu, 31 Dec 2009 20:26:20 GMT</pubDate></item><item><title>ネット時代の政治　その３　広域行政の敢然施行</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00313</link><description><![CDATA[広域行政の敢然施行



インターネットが日本の政治を変えたことについてシリーズで指摘してきた。さらに言えば、新政権はなによりもまずインターネットをもっと使って、地方行
政の簡素化とスピードアップを図らなければならないと思う。 

  

そうすれば行政はもっとスリムにできるし、効率化を図ることができる。そしてお役人を減らすことができ、人件費を節約することができる。 

  

日本の輸出入は前年比で４割前後も少なくなっている。日本経済はそれだけ縮んでしまったということだ。これにより税収が減り、国や地方自治体の税収が減っ
てきた。それでも公務員の給与はこれまで通り、毎日、払わなければならない。 

  

手をこまねいていると、地方都市のみか、国そのものが夕張市になってしまう。累積赤字国債が 800 兆円をはるかに越えて、日本の財政はすでに夕張化し
ているとみる経済学者は少なくないが、とにかく手は打たなければならない。 

  

国民の要望が高まる一方のなかで、どうやって人を減らすか。行政サービスの質を落とさずに、いかにしてコスト削減を図るか。解決不能にもみえる難題のソ
リューションは、唯一、インターネットの適切な利用だといえる。 

  

まずは道州制の広域行政の実現が急務である。中小の市町村が重複して行っている地方行政の仕事を、広域におこなって事業コストと人権費を圧縮するのは当た
り前のことだ。 

  

いまは全国の自治体が地方自治の名のもとに、それぞれがそれぞれのシステムを作って、効率化からはほど遠い行政を行っている。行政のシステムそのものをで
きるだけ統一して、コストの最小化を図らなければならない。総務省の旗振りで北海道や京都、佐賀、大分、宮崎各県がスタートしている税収や人事、文書管
理システムの共通化の動きは、とても大事なことだ。 

  

現在の都道府県の地域割は、なんのことはない江戸時代の参勤交代、明治の廃藩置県の名残でしかない。人がかつぐ籠に代わって自動車が走るようになって
も、大した変更はなされていない。ましてインターネットを使った行政の改革は、掛け声ばかりで現場ではほとんど具体化していないのが実情だ。 

  

民主党政権には、歴史的大勝のチャンスを生かして、ネット時代にふさわしい大胆な列島改造に着手してほしいものだ。地方自治体への権限移譲の前に、その行
政システムを時代にふさわしいものにアップグレードする必要がある。日本の財政健全化は、迂遠なようだがこれを実現するところに解決のカギがある。

民主党のマニフェストを読む限り、残念ながらこのあたりの考え方が一向にみえてこないのは心配だ。この点、自民党は道州制の構想ではかなり具体
的に踏み込んでいた。






]]></description><pubDate>Sat, 05 Sep 2009 18:50:27 GMT</pubDate></item><item><title>ネット時代の政治　その２　公共政策型シンクタンクの勧め</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00312</link><description><![CDATA[公共政策型シンクタンクの勧め 

  

今回の総選挙ではマニフェスト（政権公約）で民主党が先行した。これに自民党がついて行けず、もたついて有権者に悪い印象を与えた。 

  

マニフェストなる言葉を、わたくしが初めて聞いたのは、 1984 年秋のことである。フルブライトのジャーナリストプログラムでワシントンに遊学してい
たときで、レーガン政権の二期目の大統領選挙が行われようとしていた。 

  

ワシントンでは新興のシンクタンクが、「われわれのマニフェストは第一次レーガン政権でこれだけの政策を実現した」とその影響力を誇示するとともに、二期
目の政権のためのマニフェストを掲げて、その実現を議会やホワイトハウスに迫っていた。その提言には国民の生活から国の安全保障にかかわることまでが網
羅されていた。 

  

民間のシンクタンクが、政党のために政策を練り、作り、その実現を迫る―というのは、日本ではみかけないことである。 興味深く思ってヘリテージ財団と
かアメリカン・エンタープライズ・インスティテュート（ AEI ）、ブルッキングス研究所といったシンクタンクと呼ばれる組織を訪ね歩いて、調べた。 

  

ワシントンでシンクタンクといえば、政治にかかわる公共政策型の組織のことを指す。その運営は、個人や企業からの寄付金で賄われるが、そのお金は決してひ
も付きであってはならない。公共政策を扱う以上は、シンクタンクは党派に偏ってはならないとされる。 

  

シンクタンクが政治家や研究者を招いて行うセミナーなどでは理事長が、わざわざ冒頭に挨拶して、その独立性を宣言するという気の配りようだ。公共のため
の政策を扱う以上は、特定の政党や党派のためであってはならないという考え方からである。日本の大企業や企業グループの名前を付けたシンクタンクについ
て幹部に聞くと、「それぞれの企業の利益のための研究機関ではないか」と峻別し、政府や省庁の予算で運営される研究所についても「税金を使っているのであ
れば、政権に奉仕するもので、われわれのシンクタンクとは別物」と語った。 

  

もちろん政治にかかわる研究機関である。それぞれの主義主張がなければ、運営資金も集まりはしない。それぞれのシンクタンクには政治的なスペクトルがあ
る。ヘリテージ財団や AEI は共和党系とされ、ブルッキングス研究所は民主党系と目されて、研究員には大統領選挙で落選した前、元大統領やホワイトハ
ウスのかつてのスタッフらが目白押しだ。 

  

しかしながらここで一つ、気になることがある。 

  

それは 1970 年代から 80 年代にかけて、独立自尊のアメリカの再生のために、保守系シンクタンクが知恵をしぼった市場原理重視の規制撤廃の政
策が、金融システムの暴走を招いて破綻し、多くの分野で再び政府の関与を許してしまったことだ。多大な税金の投入も行われて、数十年、逆戻りしてしまっ
た。 日本でも同じことがいえるが、それが国民のためにならないことは明らかだ。 

  

民主党は、政策制定をこれまでの官僚まかせから行政府の手に取り戻すことを宣言している。果たしてこれを実行できるのかどうか。政治家は一旦、選ばれる
と、選挙区の面倒見からはじまって途方もない雑事に忙殺される。ついつい官僚に頼ることになりはしないか。 

  

せっかくの民主党政権が元の黙阿弥にならないためには、在野に公共政策型のシンクタンクが生まれなければならないだろう。野党になった自民党にしても、い
つの日か再生するためにも、支持者は本当の意味での公共政策型シンクタンクを興して、常日頃から政策論争を仕掛けなければならないと思う。 





]]></description><pubDate>Fri, 09 Oct 2009 19:25:29 GMT</pubDate></item><item><title>ネット時代の政治　その１　薩長土佐談合政治150年からの決別</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00311</link><description><![CDATA[薩長土佐談合政治150年からの決別 

  

  e ブックランド的にいえば、自民党政治の終焉の背景にはインターネットという新しい社会インフラの整備がある。 

  

こうしてもたらされた民主党政権の誕生には、もっと深い歴史的な意味がある。 その一つは明治維新以降、長く続いた薩長土佐による談合政治 150
年の体質にようやく別れを告げることができたということだ。 

  

そのようなものがいまだに存在しているのか。 まさかと思う向きは、自民党政権の最後に行われた首相のたらい回しを思い出せばいいだろう。不可解な党
内の話し合いで、長州（山口）出身の 安倍晋三首相から、九州は福岡選出の麻生太郎首相にバトンタッチされた。 

  

政権の委譲が、なにやら得体のしれない談合で決定され、国民の信を問うことなく、堂々と行われるというこの国のまか不思議こそは、 まさしく薩長土佐の談
合政治をほうふつとさせる出来事だった。しかも自民党内にそれでよしとする体質があり、こうして生まれた 談合政権がじつに１年近くも続いた。 

  

さすがにこれは国民大多数の気持ちを逆なでした。経済がうまくいっていれば国民も見過ごしたかもしれないが、未来にツケを回す赤字国債を刷りまくって
の大々的な不況対策には国民も背筋が寒くなってきていた。 

  

お盆で帰省した郷里の米沢盆地は、伝統的な保守の地盤だが、農民までが政権交代を口にしていた。地域の隅々にまで○○親睦会の類いのネットワー
クが張り巡らされているが、それらはよくよくみればすべて政治家への献金組織なのだという。道路も予算がついて建設されれば、その予算の一定の割合が建設
会社から献金として政治家に渡る。そんな仕組みはもう沢山だという怨嗟の声を聞いた。 

  

長い間、与えられた政治を黙って甘受していた地方の農民までが、ようやく自分の意見を持ち、自分の意思で１票を投じる気持ちになった。これが今回の総選
挙の結果が示すところである。自由民権の考え方がついに根付いたともいえるわけで、板垣退助も草葉の陰で目を見張っていることだろう。 

  

これを可能にしたのが、情報の流れを円滑にするインターネットの登場だといいたい。世の中を風通しよくするインターネットが普及する前は、いかに奮闘して
も根深い談合の体質を打破することはできなかった。 

  

ネット社会が到来してわずかに 10 数年、人々はついにここまで自ら語り、自ら判断するようになった。まだまだ不十分だとはいえ、ヒラメ型の日本人はよ
うやく立ち上がって自分の目で見、考えて行動するようになった。 

  

貴賎、貧富の別なく、人々が使うことができるインターネットは、絶対に変わることがないと見られた日本人の精神改造を果たそうとしているらしい・・・とま
でいうのは楽観に過ぎるかな？！

これを書いてから２週間、霞が関で明治以来、続いていた各省庁の次官と新政府との顔見世会議が廃止され、開かれないことになった。民主党の官僚主導政
治を変えようとする方針に基づいたものだという。　

民主党は各省庁に屋上屋をなす外郭団体を税金の無駄使いだとして、粉砕する考えだともいう。案外に期待できるかも知れない。公共政策の実施と監督・管
理を装って、天下りのために設けられたそうした無数の機構は掃除して、そこにつぎ込まれてきた税金はしかるべきところに使われるべきだ。




]]></description><pubDate>Mon, 14 Sep 2009 11:34:05 GMT</pubDate></item><item><title>時代の終わり　それから</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00310</link><description><![CDATA[時代の終わり　それから



麻生首相の生まれ故郷、福岡県で講演をしたことがあった。会場は北九州市だったから、麻生首相の選挙区（福岡８区）ではないが、首相就任（ 2008
年９月 24 日）から、わずか２週間後の講演（ 10 月８日）とあって大きな話題だった。 

  

そのころ、自ら政権を放棄した安倍前首相の後継である麻生首相は、ごく短命に終わるだろうという見方をされていたが、わたくしはこのとき「神風が吹きまし
たね。麻生政権は案外に長期政権になる」と申し上げた。 

  

その理由には２つあった。 

  

ひとつは降って湧いたようなリーマンブラザースの倒産ショック（９月 15 日）である。アメリカ政府が倒産を放置するというまさかの判断に、アメリカは
もとより、世界中の市場で株価が暴落するなど大恐慌前夜さながらとなった。この事態の収拾には長くかかるだろう。これが神風である。 

  

短命が宿命とみられた麻生首相には、突然、襲ってきた大暴風雨から日本を守るという大義名分ができた。麻生首相はこれにしがみついてどこまでも自民党政
権の維持継続を図るに違いない。 

  

「麻生長期政権論」には、もう一つの裏があった。自民党に対する国民の支持が落ち込んでいて、総選挙をすればどうあがいても与党の座から滑り落ちてしま
う。このことがあらゆる調査から明らかだった。自民党は、首相がだれであれ、任期満了までしがみつくほかない。これが本当の理由だった。 

  

わたくしの話を聞いたみなさんは、いまごろ納得してくださっているに違いない。会場には地元の製鉄所のお歴々が顔をみせていたから、ウソはいわないで済ん
だと胸をなでおろしている。 

  

しかし、その任期も運も使い果たして、いよいよである。政権の延命工作も、浮揚工作も万策尽きた。国民の信を問うという正道を長く踏みにじった結果、有権
者の気持ちはますます自民党から離れてしまったようにみえる。果たして麻生長期政権がよかったのか、どうか。このあたりのことは、もはや後世の歴史家が論
評するテーマであるに違いない。 

  

太平洋戦争に敗れた日本は 1951 年、サンフランシスコ講和条約で再び主権を取り戻した。そのときの首相、吉田茂の孫が自民党政権の幕引きを演じ
る、というのは、これはやはりなにかの因縁なのだろう。 

  

ともあれ、これからの日本はさて、どうなる？ それを決めるのは国民だが、これまでと全く異なるのは、それぞれの有権者がインターネットを駆使して、それ
ぞれに情報を入手し、それぞれに判断するようになり、昔に比較してより自立してきた、ということだ。 民主主義の時代に、これが悪かろうはずがない。 

  

電子出版社 e ブックランドはそんな時代がくるし、こなければならないとインターネットの普及のために立ち上げたところがある。存在意義はこれから問わ
れるのかもしれない。



]]></description><pubDate>Fri, 09 Oct 2009 19:32:08 GMT</pubDate></item><item><title>沈黙の春　沈黙の世界</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00309</link><description><![CDATA[沈黙の春　沈黙の世界 

  

果樹の開花の季節の到来とともに、受粉に飛び回るミツバチが少なくて農家が悪戦苦闘しているニュースが列島各地から伝えられている。これまではミツバチま
かせだった受粉に人手をかけなければならないために果物の値段の上昇さえ懸念される事態だという。 

  

ＮＨＫのクローズアップ現代（ 2008 年 6 月 12 日放映） がアメリカでのミツバチの失踪を報じて、日本でもにわかに関心が高まってきたミツ
バチの大量死は日本でもおきていたのである。 

  

フランスでミツバチの死骸から、高濃度の農薬ネオニコチノイドを検出して、最高裁判所がその使用禁止の判決を下したというから、これが原因視されてきた。
半世紀ほども前になるが、わたくしが大学に入学する前の高校生のころ、空中散布の農薬が稲の害虫だけでなく、水田の魚や昆虫を大量死させたことがあっ
た。軽飛行機が農薬を撒いた数日後には、無数の小魚が水田や小川で死んで白い腹をみせて浮かんでいるのをみた。 

  

こうした農薬散布が毎年、行われるようになってから川魚は確実に減っていった。コイ、フナ、オイカワ、ナマズ、ドジョウを初め、清流にすむカジカ（海のハ
ゼに似ている）までが姿を消した。わたくしは山形県の米沢方面から流れてくる松川が白川と合流して最上川になるあたりに生まれ育った“川の子”だから、こ
んなに悲しいことはなかった。 

  

しかし、こうした農薬の使用は日本だけで行われていたのではなかった。そのころ農薬はアメリカでも大量に使用され、五大湖などアメリカ全土で鳥や魚に個体
数の激減のみか、奇形などの異変を引き起こしていた。これをみて同じような悲劇が人間にも起きるだろうと告発したのが『沈黙の春』（レイチェル・カーソ
ン著）である。 

  

長じてその翻訳を読んだとき、アメリカで異変が起きた時期がまさにわたくしが農薬のために魚たちが白い腹をみせて死んでいるのを目撃したのと同じころであ
ることを知って天を仰いだ。『沈黙の春』はグローバルな現象なのだった。 

  

今回の地球規模でおきているミツバチ大量死が、有機リン系の農薬が効かなくなったために開発されたネオニコチノイド系農薬によるものであるとすれば、ほと
んど50年ぶりの新たな沈黙の春の到来である。 

  

受粉に異常をきたすのは、人間さまが食するリンゴやナシの果物だけではないだろう。この地上には無数の草花があり、それが果実を実らせて無数の昆虫、動
物などが生きている。花と花を飛び交って実りをもたらすミツバチの死滅は、食物連鎖の断絶をもたらしかねない。 

  

日本ではまだ原因をめぐって、ああだこうだの段階だが、ミツバチの大量死は、不況対策や豚インフルエンザの流行阻止に勝るとも劣らない大きな問題ではない
だろうか。“沈黙の世界”にならないようにこれはみんなで考えたいことである。

～～～～～～～～～

このブログを書いてから、座して四の五の言っているような状況ではないと考えて、取材に動いたところ、盛岡市の養蜂家、藤原誠太さんが同じように考えてい
ることが分かり、早速、電子出版してくれるようお願いして快諾をいただいた。

藤原さんとは、じつは2008年10月、山形県で行われた「日本再発見塾　in 最上」でお目にかかったことがあった。奇縁とはこういうことをいうのだろ
う。　

しかも藤原さんによれば、アメリカでミステリーとされているミツバチの大量死の原因は、2005年夏にすでに盛岡市で大量死が起きた段階で、ネオニコチノ
イド系の神経農薬であることが突き止められているのだという。

ミツバチを殺す側は、行政と農薬会社の複合体であり、とりわけ農薬メーカーはグローバルな経営を展開している大企業だ。農薬には食料の確保と増産の大義名
分がある。到底、太刀打ちできそうもない。

しかし危機に瀕しているのは、わたくしたちの生活であり、社会であり、地球の自然である。この事実が知れわたれば、必ずや農薬行政の見直しが始まるに違い
ない。すでにフランス、ドイツ、オランダなどでは神経農薬の使用禁止が打ち出されている。

eブックランドの「ミツバチを救え！キャンペーン」には多くの人の力を結集して、私たちのかけがいのない地球の生態系をなんとしても守りたいものだ。





]]></description><pubDate>Wed, 10 Jun 2009 00:15:19 GMT</pubDate></item><item><title>伝える喜び 伝わる快感</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00308</link><description><![CDATA[伝える喜び 伝わる快感 


人に気持ちを伝えること、コミュニケーションは本能の範疇ではないだろうか。 

考えていることをうまく人に伝えられたときは喜びがあり、感動を覚えることさえある。 

  

e ブックランドに作品を寄せてくる方々は、それこそ様々だ。メールでやり取りをし、お話しするほどに、書く動機も、願いも、期待も異なることを知る。そ
れでも、気持ちを伝えたい、分かってほしい、知ってほしいという思いは共通している。 

  

大変につらい経験を書き綴り、作品に仕上げるまでは、短いメールの行間にまで悩みと困惑をにじませていた著者が、電子出版するとそれまでの日々を忘れたか
のように元気になって、人生のやり直しを始める様子をみてきた。 

  

書くこと、人に伝えることには、喜びどころか快感さえあるらしい。それは本能のうちだろうと思うのはこのためである。 

  

実際、逆に、ものを書くどころか、人を真っ暗闇の、無音の空間、人とコミュニケーションのまったく取れない世界に放っておくと、たちまち気がおかしくなる
といわれる。 

  

考えてみれば、わたくしは人に物事を伝えることを仕事にしてきた。新聞記者時代は「電話１本、 3000 人」といわれて、電話には丁寧に、丁重に対応し
て、間違いのないよう電話をかけてきた方のお話しを記録するように教えられた。 

  

新聞社というのは、毎日、文章のコンテストを受けているようなところである。 メモをひとつ取るにしても、おろそかにはできない。原稿であれば、てにを
は、の一つでも間違えて、それが紙の上の記事になったら大変だ。書き取りのミスは１回ならば大目にみてもらえよう。しかしそれが 2 度、３度と続くよう
ならば、「キミ、もっと楽なところがあるよ」と網走番外地支局を覚悟しなければならないようなところだ。 

  

もっときついのは、意を尽くした文章を綴ることだ。記事はただ書けばいいというものではない。限られたスペース、行数のなかで、読者にしっかりと伝えなけ
ればならない。さらにはフームとうならせるものであることが求められる。 業務用の文章とはいえしかるべき水準があり、品格を問われる。これが書けるよう
でなかなか書けずに、ベテラン記者までが七転八倒するのだ。 

  

よそ道にそれたが、書くということ、人に伝えるということはそれだけ大切な行為だということなのだろう。書くこと、話すこと、コミュニケーショ
ンは、人と人を結び、“きずな”を作り、人間社会を形作って動かすために必要な最も基本的なことだからだともいえるかもしれない。 

  

最近、わたくしは携帯電話のマイクロＳＤカードに関心を深めているが、これが面白いと思うのは、 au 、 docomo 、 Softbank の 3
社の携帯にコンテンツを入れて再生できるものが開発されて、本来、メモリーにすぎなかったＳＤカードが、コミュニケーションのツール、すなわちメディアと
して使えるようになったという点だ。ここにもわたくしの伝達への特別な関心の強さがからんでいるようだ。 

  

１億総携帯の時代に、このような有意義な技術はもっと活かすべきだと考えて、まずは学生募集のための「キャンパスＳＤカード」として提案したところ、３月
末、日本大学本部のインフォメーションプラザ様に１万枚、お届けすることができた。これに気をよくして、 「 スーパーＳＤカード
<http://www.e-bookland.net/campaign/img/sd90408.pdf> 」 と命名して、もっと様々な分
野に広く提案することになった。 

  

携帯の液晶画面から、ワンセグのテレビ番組のように手元から迫ってくる映像や音声、文字には、大変なインパクトがある。 

「 スーパーＳＤカード <http://www.e-bookland.net/campaign/img/sd90408.pdf> 」は、 忙し
い人々の生活時間のなかに、あっという間に入り込んだ携帯の強みをそのまま発揮できる。学生募集に限らず、新商品の広報ＰＲ、売り込みの営業には強
力なツールになることが考えられる。 

  

読者の皆さまにも利用方法を考えていただき、アイデアが湧いたら、ぜひ、ご一報いただきたいものだ。 

 


]]></description><pubDate>Sun, 19 Apr 2009 00:35:07 GMT</pubDate></item><item><title>伊予のストーンヘンジ</title><link>http://bizpal.jp/eb346/00307</link><description><![CDATA[伊予のストーンヘンジ 


電子書籍の新しい規格、 KeyringPDF の導入を記念する e ブックランドのトップページに、「伊予のストーンヘンジ」（篠澤邦彦著）を大き
く掲げた。 

  

これにマユをひそめる向きもあるかもしれない。 科学的な研究も行われていない海中のストーンヘンジの話など、まともに取り上げる e ブックランドとい
うのはちょっとヘンな出版社ではないのか―と。 

  

そこで少し、説明しておこう。 わたくしは新聞社のロンドン特派員をしていた関係で、イギリス南西部のソールズベリー平原にサークル状に石柱が立つストー
ンヘンジそのものを訪れたことがある。 

  

四方に地平線が広がる平原に、にょきにょきと現れるストーンヘンジの柱は、遠くからは小さいようだが、近づくほどにそのスケールに圧倒される。 石
柱の高さは高いものでは７メートル、人間の背丈の４～５倍もある。 

  

これについての文献も読んでみた。 古代人が天文観測のために立てたということは間違いないようだ。 それにしても土木機械などない時代に、一体、どのよ
うにしてこのような重い石を運び、立てたのか。 興味は尽きない。 

  

なにしろ、ケルト人が住むブリテン島をローマ軍が征服し、その後にアングロサクソン人が進出したころよりはるか昔から立っていたのである。　長い間、建設
方法も分からなければ、その目的も知られることはなく、ただただ人々を驚愕させてきた。 

  

近年、ようやく炭素年代測定法などで正確に調べることができるようになって、ストーンヘンジは一挙に造られたものではなく、長い年月の間に整備されたもの
であることが分かってきた。 最も古いものでは紀元前 8000 年、つまり１万年前の中石器時代の遺構がみつかっているが、現在の主要な形は新石器時
代、 現在から4000年以上前の紀元前2440年から数百年の間に建設されたとみられている。 

  

つまりは有史のはるか以前ということで、普通の人の歴史感覚ではとらえきれない建造物なのである。 日本でいえばアマテラスのはるか以前の話だ。 

これが巨石文明に対して、人々がうさんくさい目を向ける理由になっているが、わたくしはそうは思わない。 しっかりした物証のある遺跡であり、もっと正し
くその存在を人類の歴史として研究し、学ぶべきだと思う。古代のロマンとか、そういったレベルで扱うべきではもはやない。 

  

筆者の篠澤さんはアマチュアの古代史研究家だが、「伊予のストーンヘンジ」では現在よりもずっと低くかった縄文時代の海面のことにまで言及して、白石の鼻
巨石群について実証的に観測し、観察している。 アマチュアの水準を超えたレポートで一読に値する。 

  

日本では他にも天文観測施設として利用されたとみられる巨石の遺跡がみつかっている。 古代人は考えられているよりもっと賢く、行動的で、たくましかった
のではないか。 ２１世紀である。 神代の前の、わたくしたちの祖先の歴史について、年代を明確にして真正面から向き合うときだろう。 

  

天文観測施設という共通の目的からみて、大西洋岸のブリテン島で活躍していた古代人が、太平洋岸のアジアの古代人となんらかの知的交流をしていたというこ
ともあって不思議はない。 ユーラシア大陸は地続きだし、海は世界に通じている。  こうした仮説は、いまや骨のＤＮＡ鑑定や年代測定法、気象学といっ
た手段をからみ合わせれば追求できるはずだ。 

  

３月 15 日（日曜 17:00～）には「春の夕日の鑑賞会」が予定されているとのことで、関心のある方は、一度、現地を訪れてみてはどうだろうか。
帰りにはもちろん、松山市の道後温泉につかって・・・・。




]]></description><pubDate>Sun, 08 Mar 2009 02:56:50 GMT</pubDate></item></channel></rss>