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平和国家が日本の生きる道

東アジアで開かれていた一連の首脳会議で、わたくしたちにとって一番重要だったのはやはり日中首脳会談だったと思う。日本の孤独が世界中に知れわたったとはいえ、軍事衝突の回避に向けての話し合いの道筋がついた。

わたくしがとくに注目したのは、会談するにあたって事前に合意された4条件である。そのなかに「両国は歴史を直視して、未来を目指す」という言葉があった。そして首脳会談でも安倍首相は歴史認識については歴代の政権の立場を継承していると語った。

これで隣国の日本と中国の首脳が会いもしないという異常事態は終わり、南海の一触即発の緊張が緩和される可能性が生まれたわけで、うれしいにはうれしい。だがこうなると一体、これまでの安倍政権の2年間というのは何だったのかという思いにかられる。

2012年暮れの総選挙で勝ってから、安倍首相は天皇元首の公約を掲げ、戦争ができる普通の国になるのだとしゃにむに突っ走ってきた。このために中国、韓国の警戒を招いて首脳が口もきかない状況が生まれ、韓国の朴大統領政権を中国に接近させて経済関係までがこじれた。

結果的には、かつての日本のような戦争のできる国になりたいという安倍首相の復古主義は、中国、韓国のみかアメリカからも受け入れられず、極東アジアには第二次世界大戦末期に連合国によって大枠が決められたヤルタ体制が厳として生きていることを思い知らされて終わった。

つけいる隙を見せない有事に備えた軍備増強はするにしても、これからの日本は平和国家として生きるほかはないことを再確認させられたといえる。今後、もしも日本が再び戦前の日本のような政治体制の国を目指して、自民党の公約通り天皇元首の憲法改正をしたら、これまで以上の緊張状態が生まれかねない。

論理的に考えれば、日中首脳会談の4条件というのは、こういうことだろう。舞台は回ったのである。

当の首相の心中には穏やかならざるものがあるに違いない。政権にすり寄って復古主義を煽ってきたメディアも、ハシゴを外されたようなものだから大変だ。しかし「うんざりする歴史修正主義」(エコノミスト誌)のメディアは、もともと事実を直視したくない勢力だ。相変わらずの主張を繰り返して本当のことを国民に伝えようとしないが、いずれ自らの論理矛盾に行き詰まるだろう。

早口首相は解散・総選挙は消費税など経済問題が争点だとしているが、問われるべきは過去2年間を棒に振った政治問題だと思う。庶民の「書く自由」のために、電子出版社eブックランドを運営している者としては、平和国家には特定秘密保護法など必要がないのだから、次期政権には廃案にしてもらいたいほどだ。

だから首相より過激な石原慎太郎次世代の党代表が「老兵は死なず、消え去るのみだよ。」と語って、突然の解散に伴う総選挙には出ないことを示唆したと聞いて、お騒がせの作家もさすがに観念して、引退するのかとちょっぴり感心した。

なにしろ石原代表には振り回された。尖閣諸島は、石原氏が都知事時代に、お金で辞めた当時の副知事を使って都で購入すると募金を始めて動き出したため、当時の民主党が困惑の果てに国営化してこじれた。日本の核武装のみか、「支那と戦争して勝とう」などと平然と語る石原氏の言葉が伝えられている。

わたくしは石原慎太郎がどこまで正気でこういうことをべらべらしゃべっているのか、不思議でならなかった。言っていることは、まさしく中国との大戦争も辞さないということだ。それでも今回はマッカーサーの最後の言葉を引用して引退するというのだから、自らが主張する政治路線が今回の日中首脳会談の結果をみてもはや不可能と悟ったのではないかとふと思った。

老兵は死なず・・・云々の有名な言葉は、戦後に日本に進駐した連合軍の最高司令官、ダグラス・マッカーサーが突然解任されて日本を去り、上下両院議会で退任演説(1951年4月16日)をしたときに語った言葉であることはかなり知られている。しかしその真の理由については、もはや知っている人は少なくなったのではないか。

朝鮮戦争でアメリカ軍を中心とする国連軍は、一時は釜山にまで追い詰められながら仁川作戦で反転攻勢にでて中国国境まで迫った。このときマッカーサーは、この勢いで共産化した中国の国内に攻め込み、毛沢東の共産党をぶっつぶしてしまいましょうとワシントンのトルーマン大統領に進言した。

青くなったトルーマン大統領は1951年4月11日、マッカーサーからあらゆる職務をはく奪して帰国を命じた。そんなことをしたらソ連の参戦を招いて第三次世界大戦になってしまう―と恐れたのだった。かくてコーンパイプをくわえて日本に降り立ったマッカーサー元帥はクビになり、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉だけが残った。

ところがである。石原代表はそれから1週間もしないうちに、やはり選挙に出ると思い直したと報じられた。次世代の党の若手議員たちがこぞって出馬を直訴したためだという。これら若手議員たちは何を考えているのだろう。東アジアの政治の舞台が回ったことがみえないのだろうか。

神がかりの国日本の先行きはまだまだ予断を許さない。


作成:Sanshiro 2014.11.20 更新:2014.11.26

eブックランドの夢が実現する

関西の中堅大学からデジタル卒業記念アルバムの制作について、見積りの依頼があった。現在進行中のビジネスだが、おかげで昔の夢を思い出した。

デジタル卒業記念アルバムというのは、eブックランドを立ち上げた11年も前に考えたアイデアである。どこの学校でも、幼稚園や保育園でも作っている卒業記念アルバムを、紙本ではなく電子書籍にしてeブックランドでいつでも、好きなときに見られるようにしようとしたのである。もちろん卒業生や家族はIDやパスワードを入れて開くことになる。

都内の高名なミッション系の国際高校から制作の依頼がきたこともあった。その高校ではアメリカやカナダから来ている留学生がいるだけでなく、先生方にも外国人が少なくない。だから卒業記念アルバムが電子書籍になれば、遠い外国にいる両親や友人、知人にもインターネットでみてもらえるだろうということで、強い要望があった。

このほかにもいくつかの学校から打診があった。わたくしはIDやパスワードの管理を厳重にすれば大丈夫だと思ったし、プログラマーもそれは可能だと請け負ってくれたけれども、ウエブ上で卒業記念アルバムをみるというアイデアは机上論に終わった。個人情報の保護の風潮が強くなって尻込みするようになったからである。

今回、舞い込んできたデジタル卒業記念アルバムは、従来、紙本で印刷して作っていたアルバムをCDにしてほしいという要請だから分かりやすい。4年生の大学だが、撮影費用も含めると1人あたり5000~6000円もかかって父兄や学生たちの負担が大きい。なんとかしてほしい、という相談である。

これはお任せください、と二つ返事で見積りを差し上げた。eブックランドはCDサービスも行っていて、卒業記念アルバムをCDやDVDにして豪華なジャケット入りに仕立てることができる。従来の卒業記念アルバムはCDに、大学や部活などのキャンパスライフをDVDにおさめた2枚組のパッケージタイプでも、制作費だけなら500円前後で納品できるだろう。シングルのジャケットタイプなら300円で十分だ。

撮影費や編集費はアナログだからあまり圧縮できないけれども、紙代と印刷費の部分はほとんど5分の1にできる。卒業生が1000人未満の高校、大学ならば学生の負担は従来の2分の1以下、それより多いマンモス校ならば3分の1のコストでデジタル卒業記念アルバムを提供することができる。

こうしたデジタル卒業記念アルバムの注文が来るようになったのは、コストの問題だけではなく、世の中の情報インフラそのものがデジタル化してきたためだろうと思う。とにかくスマホやタブレットの普及はすさまじい。卒業記念アルバムにしてもデジタル化すればスティックに入れ直し、それを自分のスマホやタブレットにアプリとして保存しておいていつでも見ることができる。紙本の重い卒業記念アルバムなどダサイと思われはじめているらしい。

それだけではない。紙パルプの問題は一般に考えられているよりも深刻だ。中国のみならず、インドやアセアン諸国でも生活水準が上がるに従って紙の需要が高まり、木材資源の奪い合いが激しさを増している。これが熱帯雨林のさらなる乱開発に拍車をかけて地球環境を破壊していることはもはやだれでも知っている。日本では円の下落で海外からの木材パルプの輸入代金が高騰しはじめている。

10年以上も前のeブックランドがみたデジタル卒業記念アルバムの夢は、あれやこれやでようやく現実のものになろうとしているようだ。

作成:Sanshiro 2014.11.11 更新:2014.11.11

日中が再び戦うことがあってはならない

近ごろ、立て続けに山口淑子さんのテレビ番組をみた。9月7日に無くなった別の名を李香蘭という女性の追悼番組である。

李香蘭さんには大変にお世話になった。わたくしが1本立ちのジャーナリストになることができたのは李香蘭さんのおかげだったのかもしれないと思う。

わたくしは中東特派員の後、ワシントンに遊学して中東の動乱の背景を探る「ペルシャ湾」(新潮選書、1989年刊)という本を出したが、そのころの新潮選書はしかるべき人物の推薦の文章を裏表紙に掲載することになっていた。その推薦文を山口淑子さんに書いていただいたのである。

中東地域の駐日大使らを招いてのパーティーがあり、出席していた山口淑子さんが参議院外務委員会の委員長だというので立ち話をしながら書いていただけないだろうかと依頼したところ、「拝見いたしましょう。校正刷りを読ませて下さい」と快く受けてくださった。そして心のこもった推薦の文章を寄せてくださったのである。

「ペルシャ湾」は出版になった当座はぼちぼちだったけれども、1990年8月にイラクがクウェートに侵攻して湾岸戦争が勃発するや、爆発的に売れ出した。そのころわたくしは欧州の特派員になっていて、ロンドンからペルシャ湾に出張取材したりもしたのだが、数週間で増刷、増刷になる勢いで、特派員としての給与を上回る印税が振り込まれるようになった。物書きというものはこうも儲かるものなのかと驚いた記憶がある。

当時は冷戦終焉のときでもあり、日夜の送稿と出張で過労気味になって体調を崩しつつあったわたくしは、物書きも悪くないかもしれないと記者からの転身を考えるようになっていた。そこに「都内に教授のポストがあるがどうか」という大学の恩師からの手紙が舞い込んで気持ちは固まった。

「ペルシャ湾」は、湾岸戦争が終わるまでのわずか半年ほどの間に10刷りまでいった。タイミングもあったのだろうけれども、硝煙の臭いさえする中東の本がこんなに売れるはずがない。本屋で手に取った読者はきっと、裏表紙に添えられた山口淑子さんの温かい血の通った文章を読んで興味をひかれてレジに向かったに違いない。このことが今になって分かった。なんと、うかつな男であることか!

こんなに恩義ある山口淑子さんこと李香蘭について、推薦文を頼んだ当時は、実をいうとわたくしはほとんど知らなかった。「ペルシャ湾」のような本になぜ、関心を持ってくださったのか、心を込めて書いてくださったのか。ヒタとわたくしを見つめて推薦文を渡してくださった黒い瞳の奥に去来していた李香蘭の思いを、いまごろになって知る次第だ。

日中戦争、太平洋戦争に巻き込まれてもみくちゃにされ、大スターになったけれども敗戦のときは中国を裏切った漢奸(かんかん)として死刑を宣告された。その処刑の直前になって間一髪、日本人であることを証明することができて帰国することができた李香蘭の数奇な運命は続いて参議院議員にもなり、二つの母国の関係改善に腐心した。だから田中角栄首相と周恩来首相が調印した日中国交正常化(1972年9月)のときは涙して感動していたという。

最期にはきっと、またも一触即発の関係になってきた日中関係に心を痛めていたに違いない。ご存命のうちにまたお伺いして、書く自由までも萎縮させる復古主義の極右ナショナリストにストップをかけ、やりたい放題をさせないための方策を語り合い、お知恵をいただけばよかったと悔やまれてならない。

李香蘭の墓前にはこの秋、御礼の花を捧げに行かねばならないと思っている。

「ペルシャ湾」は2003年に再版になって、そのときに裏表紙にあった山口淑子さんの推薦文がなくなったので残念に思っている。この機会に以下に再録しておくのでご覧ください。
* * * * * * 
 日本と中東の文化の交流は遥かシルクロードの時代にまで遡りますが、中東が日本にとって重要な地域であると認識され始めたのは石油危機の頃からです。日本は石油の99%を輸入しており、しかもそのうちの半分以上を湾岸諸国に依存しているのです。少しずつ備蓄を拡大してはいますが、ペルシャ湾はまさに私たちの生命線であると言えるでしょう。
 中東はその複雑な歴史的背景のため容易には理解しにくい地域で、中東での紛争も民族間、宗教間の対立等様々な要素が絡み合っており、その糸を解きほぐすことは大変な作業です。横山三四郎さんのこの書は、紀元前から現在までの湾岸とそこに関わる大国の歴史を辿ることで、私たちに豊富な知識を与えてくれます。ペルシャ湾についての手引き書とも言える素晴らしい大作です。
 日本が世界に果たすべき役割が益々大きくなっていく中で、一人でも多くの方がこの書を読まれ、より身近に、より深く中東を理解されることを願っています。
                             山口淑子(参議院議員)


作成:Sanshiro 2014.11.07 更新:2014.11.08

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