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わたくしたちの国の未来のために

ワシントンは世界の政治都市である。実弾こそ飛ばないけれども、紙つぶては激しく飛び交っている。研究所と称するシンクタンクが、表向きは党派に組みしないとしながら、それぞれに政治色の滲んだレポートを日々、発表している。

紙つぶてが投げられる先は、上下両院の議員たちやテレビ局、新聞社だ。少しでも政治に影響を及ぼそうという狙いである。これらのシンクタンクは、あれは民主党系、あそこは共和党系と知られているから、ほとんどのレポートは相手にされない。

このようなワシントンで、信頼されて別格の扱いを受けるのが米議会調査局からの報告書である。

米議会調査局は時折、日本の政治情勢を分析したレポートを出す。最新の議会報告書は「日本の安倍政権の姿勢が、中国や韓国との建設的な関係の構築を阻害して、東アジアにおけるアメリカの国益を危険にさらしている」と書いた。(ワシントン発 東京新聞 10月2日夕刊付など)

ここまで来たかとドッキリである。わたくしは2012年暮れの総選挙で安倍晋三党首の自民党が大勝してから心配してきた。戦争のできる普通の国になるとして天皇元首の政策を公約するなど先祖帰りしかねない復古主義の姿勢は、抜き差しならない国際緊張をもたらすに違いないと考えてのことである。

それがついに「アメリカの国益を危険にさらす」と、米議会調査報告書に書かれるようになった。中国と韓国はすでに首脳会談(7月)で共に日本と戦って独立した国として反日で共同戦線を張ることを言明している。中国と韓国では、日本のメディアが使っている歴史認識の違いなどというまどろっこしい表現ではなく、日本がかつての軍国主義、現人神の植民地帝国主義を遂行した神がかりの国に舞い戻ろうとしていると端的に書き、語られている。

わたくしたちの日本が抱える問題の核心がいよいよはっきりしてきたようだ。ほとんどの日本人はNHKが政府の都合の悪いことは報じない内閣広報放送になったために、このことを知らないでいる。

米議会調査局は、報告書の前段で、安倍政権が有事に集団的自衛権を行使できるようにしたことを評価している。オバマ大統のホワイトハウスはもともと日本の愛国的な新政権を毛嫌いして、宮中行事がからむ公式訪問さえ避けようとしていた。大統領の来日日程を、政府が昨年、両陛下を招いて開催した「主権の日」(2013年4月28日)が開けないよう4月下旬と指定していたほどだった。それが直前になってがらりと態度を変えた。ウクライナ情勢の急展開でロシアとの軍事緊張が高まったためである。

いままた「イスラム国」との戦いが勃発。こんどは日米防衛協議のなかでアメリカは、東アジアのみならずグローバルな紛争においても日本に支援してもらいたいといいだしている。

兵力を地球規模で動かしている軍部から、兵站が間に合わないと矢の催促なのだろう。超大国アメリカならではのご都合主義だが、戦争のできる国を目指す日本の復古主義勢力は追い風が吹いてきたと勢いづいている。

しかしちょっと待ってほしい。イスラム国をみれば、人の命を命とも思わない考え方が最初にあった。それから35年、ついには国際社会の脅威になって世界を敵に回している。

日本の復古主義者は戦前の政治体制への回帰を目指しているようだが、一度、破たんした現人神が率いる体制を復活させたところで、同じことが繰り返されるだけではないのか。万世一系を唱え、信じ込むのはそれぞれの自由だ。しかし自由には普通の社会でも国際社会でも限りはあるのである。それが他人に、諸外国に危害を及ぼすようになったら、イスラム国のイスラム原理主義と同じように制裁されるのが世の習いというものだ。

日本は錦の御旗を掲げた幕末の内戦と明治維新の王政復古のときにボタンをかけ違えたようにみえる。天は人の上に人をつくらず、万機公論に決っするはずだったのに、新たに階級を作り、神権政治を行い、いまも隣国からなにをしでかすか分からないと恐れられる国になって敗北した。

せっかく民主主義を学んだのだから愚は繰り返すまい。民主主義の最大のメリットは、間違えたら反省して軌道修正ができるところにある。絶対に間違うことのない神の政治ではそうはいかない。あれよあれよという間に日本は抜き差しならない戦争に突入していった過去がある。

すでに右寄りの新聞社はヘイト記事を連日書いて、自ら言論を封殺している。たたりを恐れて国民は萎縮し始めている。神権政治との戦いは、わたくしたちの国でこそ焦眉の急務らしい。とにかく未来の設計は最初が肝心だ。気を緩めてはならない。

作成:Sanshiro 2014.10.12 更新:2014.10.12

民権政治社会の価値観との絶望的な断絶から文明の衝突へ

もしかすると、イスラム原理主義の恐怖を体感した最初の日本人は、わたくしかもしれない。

アヤトラ・ホメイニ師が凱旋してから2年半も過ぎた1981年6月20日のことだ。イランの首都テヘランでは革命の炎がなお燃え盛っていて、バニサドル大統領を支持する学生たちがデモを呼びかけ、そこに武器を手にしたイスラム原理主義の革命防衛隊や神様党が襲いかかった。

都心で始まった衝突は次第に、わたくしが投宿していた北方のホテルの近くまで広がってきたようで、銃声がすぐ近くで聞こえるようになった。流れ弾に当たらないようにホテルの部屋の窓から下の道路を見下ろす。逃げるデモ隊を追って、銃を振りかざしたホメイニ派の民兵が走っていく市街戦の様子がみえた。

それから間もなく、誰かがドアをたたいた。開けるとピストルを突き付けられ、所持品をみせろという。ベッドの下まで調べられたが、取材の七つ道具のほかにあるはずもない。なにがなんだか分からないでいるうちに、そのまま連行されて近くに停まっていたバスに押し込まれ、彼らが本部にしている下町の警察署とおぼしき建物まで血まみれの若者たちとともに運ばれた。

バスから降りると、スパナを手にした民兵が1人1人をなぐりつけた。わたくしも1発ほおに食らった。そして若者たちと一緒に地下の留置所に入れられようとしたとき、わたくしだけが2階の小部屋に行くよう命じられた。東洋人の顔をしているのでけげんに思ったらしい。

そこは取り調べ室で、若い男の前の椅子に座らされた。そのとき初めて腰のポケットから取材許可証を取り出してみせた。すると、取り調べの男は即座に誤認逮捕と判断したようだった。態度を変えて丁重にあやまり、廊下で待機していた部下にわたくしをホテルに送るよう指示した。

護送バスで運ばれたテヘランの街を、わたくしは民兵が護衛する乗用車でホテルまで送り届けられた。自動小銃を手にした護衛の民兵は助手席のドアに腰をかけ、上半身を外に乗り出して目を配っている。まるで映画のシーンだ。夕暮れ時の下町では、人々がホメイニ師支持を叫んで街を練っている。テヘランは全体が異様な音に包まれて湧き返っていた。

こうしてわたくしはホテルに生還したが、もし身分証明を身につけていなかったらどうなっていたか。バニサドル支持のデモで捕えられた若者たちは「イスラムの敵」という罪名で問答無用と処刑されたから、危ういところだった。

ホテルのフロントに聞いたところでは、ホメイニ支持の民兵らは「ホテルの部屋から市街戦をビデオ撮影した者がいる」という情報があり、わたくしがその容疑者と目されて部屋を家探しされ、連行されたのだという。ホテルにはテレビの取材班も泊まっていたから、そういうこともあったのかもしれない。とんだ濡れ衣だった。

イスラム国によるホラーな映像を見せられて久しぶりに昔のことを思い出した。同時に心配になってきたのは日本の復古主義の先行きである。

いまは電子出版社eブックランドの社長を楽しんでいるわたくしだが、あのころは現役のジャーナリストだった。1978年秋のまだパーレビ国王の在任中からテヘランに特派されて取材しているので、わたくしのことを中東やイスラム原理主義の専門家だといまだに思っている友人たちがいる。

イランの権力中枢は、わたくしが巻き込まれたバニサドル支持者の掃討事件を最後に、急進的なイスラム復古主義の支配で固められた。パーレビ国王を倒すために立ちあがった人々の中には、共産主義者や社会民主主義、民主主義、イスラム教シーア派の穏健派から急進派まで様々なスペクトルのグループがいた。1979年1月にアヤトラ・ホメイニが亡命先のパリから戻るや、すぐ権力闘争が始まった。

バニサドル大統領はなんとか幅広い政治基盤を残す形でイランをまとめようとした最後の政治家だったが、ホメイニ路線の勢力にはそれが不満で腕づくで排除に動いた。バニサドルを倒すと急進派はほこ先を民主主義を容認するシーア派イスラムの穏健派に向け、幽閉するなどして遠ざけ、イランはホメイニ師を信奉するイスラム僧が政治を動かす神権政治の国になった。主要な政治ポストは聖職者でなければなれないし、政策は聖職者で構成する会議で承認されなければならない。

「腐敗したアラブの国々の王たちを倒せ。イスラエルを地中海に追い落とすまでイスラム革命は終わらない」。ホメイニ師が革命の輸出とイスラエル粉砕を主張する革命を横目でみながらサウジアラビアの裕福な財閥の家に育ったのが、オサマ・ビン・ラディンである。アフガニスタンでイスラム原理主義組織アルカイダを組織して数々の作戦を行った。

そしていまイスラム国が宣言されて、これを壊滅しようとするアメリカなど有志連合の国々との死闘が始まった。イラン革命から35年、事態はここに至った。コーランを至上のものとして神の国を作ろうとしたアヤトラ・ホメイニの神権政治の考え方と、人の権利が一番大切とする民主主義の、民権政治の考え方との相違が、いよいよ全面対決のときを迎えたといえる。抜き差しならない文明の衝突である。

その血生臭さ、終息の見通しの難しさは息をのむ。イスラム国の本質はまさに彼らが公開したホラーな処刑の場面にあるとわたくしは思う。神の国、イスラムのためには人の命などどうでもいいのだ。

気になるのは、安倍政権が進めつつある復古主義路線が、かつて日本人が現人神のもとに結束した神権政治に回帰するのではないかとみる諸外国の目があることだ。

作成:Sanshiro 2014.10.04 更新:2014.10.06

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