アクセス数:0000032823

<<August 2017>>
SuMoTuWeThFrSa
303112345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829303112
3456789

2017年07月 (1) 2017年06月 (1) 2017年05月 (3) 2016年11月 (1) 2016年10月 (7) 2016年09月 (9) 2016年07月 (18) 2016年06月 (5) 2016年05月 (4) 2016年04月 (3) 2016年03月 (1) 2016年02月 (1) 2016年01月 (2) 2015年11月 (1) 2015年10月 (2) 2015年09月 (1) 2015年07月 (2) 2015年06月 (1) 2015年05月 (1) 2015年04月 (4) 2015年03月 (3) 2015年02月 (2) 2015年01月 (2) 2014年12月 (1) 2014年11月 (3) 2014年10月 (2) 2014年09月 (1) 2014年08月 (3) 2014年07月 (2) 2014年06月 (1) 2014年05月 (1) 2014年04月 (1) 2014年03月 (2) 2014年02月 (1) 2014年01月 (1) 2013年12月 (1) 2013年10月 (1) 2013年09月 (1) 2013年07月 (1) 2013年06月 (2) 2013年04月 (1) 2013年02月 (1) 2013年01月 (1) 2012年11月 (2) 2012年10月 (1) 2012年09月 (1) 2012年06月 (1) 2012年05月 (1) 2012年04月 (1) 2012年03月 (2) 2012年02月 (1) 2012年01月 (1) 2011年12月 (1) 2011年11月 (2) 2011年07月 (2) 2011年06月 (1) 2011年04月 (1) 2011年03月 (1) 2011年01月 (1) 2010年12月 (2) 2010年11月 (2) 2010年10月 (1) 2010年03月 (2) 2009年12月 (1) 2009年11月 (1) 2009年10月 (1) 2009年08月 (3) 2009年07月 (1) 2009年05月 (1) 2009年04月 (1) 2009年03月 (1) 2009年02月 (1) 2009年01月 (4) 2008年12月 (3) 2008年11月 (1) 2008年10月 (3) 2008年09月 (5) 2008年06月 (1) 2008年04月 (1) 2008年03月 (1) 2008年02月 (2) 2008年01月 (3) 2007年12月 (3) 2007年11月 (2) 2007年10月 (1) 2007年09月 (1) 2007年08月 (2) 2007年05月 (1) 2007年04月 (2) 2007年03月 (1) 2007年02月 (3) 2007年01月 (1) 2006年12月 (2) 2006年11月 (2) 2006年10月 (4) 2006年07月 (2) 2006年05月 (1) 2006年04月 (3) 2006年02月 (1) 2005年12月 (1) 2005年11月 (1) 2005年10月 (2) 2005年09月 (2) 2005年08月 (2) 2005年07月 (4) 2005年06月 (2) 2005年05月 (6) 2005年04月 (4)

< 前の月 | 次の月 >
昭和16年を繰り返すまい

ニューヨークのツインタワーが崩れた日。イスラム原理主義組織アルカイダが2011年9月11日、旅客機を乗っ取ってアメリカ中枢部に攻撃を行った日である。

そして実は、この日はわたくしの誕生日なのだ。不思議なことに大学時代の同級生にも同じ日の誕生日の友人がいて、いまも親しくしている。

同じ年、同じ日が誕生日というのは、365分の1の確率だからそう珍しいことではないともいえる。それでも親しい友だちと誕生日が同じというのは不思議なことだねと、二人でかねがね語っていた。

最近、これには確かな理由があることに気付いて、思わずひざを打った。

誕生日から計算すると、わたくしの命が母のおなかに宿ったのは10カ月前とすれば1941年12月11日前後ということになる。昭和でいうと16年12月。この年の12月8日未明、「トラ、トラ、トラ」の暗号が発っせられた。すなわち日本帝国海空軍によるハワイ奇襲を伝える電信である。

そのころはまだテレビはなかったが、ラジオで日本軍がハワイのアメリカ軍艦隊を攻撃、同時にシンガポールのイギリス軍を攻めて戦果をあげた。これは臨時ニュースで伝えられ、日本中が湧きかえった。日中戦争が太平洋での全面戦争に拡大するという、あとで考えれば悲劇の始まりの日だったが、続いて次々と大勝利を伝える大本営発表に国民は狂喜した。

父は当時、米沢盆地の青年学校で校長に任ぜられて、青年たちに軍事教練をしていた。戦時下、若者たちにある程度の教育をほどこして軍人として送り出していた学校だから、どれほど父は喜び、興奮したことか。

心身ともに高揚した父が、その勢いで母に身ごませたことは十分にあり得る。かくてわたくしはそれから10カ月後の1942年9月11日、この世に生まれることになったのである。もちろん想像の域を出ないが、まず間違いないと思う。親友もきっと同じような理由で生まれたに違いない。

わたくしが生まれた部屋は、台所の隣の4畳半だが、その壁には日本軍の華々しい戦闘の場面の写真がべたべたと貼られていた。日露戦争のころの海戦の場面の写真が多かったような記憶があるが、太平洋戦争のものであったのかもしれない。とにかくわたくしは大東亜の戦いの最中に生を受けたのである。

父は戦後になって、青年学校の校長をしていたということで田舎にもかかわらず公職追放になり、しばらく浪人を強いられた。柔道の黒帯だった父は、子どもたちを相手に茶の間で柔道のまねごとをするときもあった。そんなときは「大東亜のパキチャー」とわけの分からないかけ声をして、足払いをかけて手荒に遊んでくれた。大東亜はともかく、パキチャーの意味は聞く機会もなく、いまだに分からない。

父とはかしこまって戦争のことを話したりしたことはない。それでもなにかの折りに「あれは間違いだったな」とポツリと語ったことだけは覚えている。

こんな父は、わたくしが外国でジャーナリストの仕事をするようになったことをとても喜んでくれた。赴任地のエジプトのカイロ、イギリスのロンドンにも来ている。しかしロンドンではしきりに疲れを訴え、日本に帰ってから間もなくがんと診断されて入院した。

ちょうどイラクがクウェートに攻め込んで勃発した湾岸戦争のころで、わたくしがロンドンに赴任する前に書いた「ペルシャ湾」(新潮選書)がやや専門的ながらベストセラーになり、10刷まで版を重ねていた。父には版を重ねるたびに送っていたところ、病室の枕元にずらりと初版から各版を並べていた。エジプトを訪問したとき、父は1人でアブシンベルにまで冒険旅行をしている。きっとそんなことも思い出して楽しみながら逝った。

「ペルシャ湾」という本は、わたくしが1978年秋の鳴動期から取材したイランのホメイニ革命について書いたものだ。自分でいうのもなんだが、アヤトラ・ホメイニの考え方を継承したアルカイダ、さらにはいま、国際社会の最大の問題になってきたイスラム国のことなどイスラム原理主義について考えるには欠かせない本だと自負している。

このブログは、最初、「昭和16年」というタイトルで書こうと考えていた。春の都知事選挙のとき、瀬戸内寂聴さんが細川護熙候補を応援する演説のなかで「いまの世相は昭和16年に似ている」と語るのを聞いてから、ずっと気にかかっていて、「昭和16年」のことを考えているうちに、なんとわたくしが命をさずかった年だという重大な事実が判明して、あらぬ方向に筆が進んでしまった。

寂聴さんはわたくしより20年も上で、大正11年5月(1922年)の生まれだから、昭和16年はちょうど彼女が二十歳のとき。日中戦争の真っただ中だ。そして12月8日には真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発する恐るべき年である。

作家の鋭い感性が、いまの日本の世情に昭和16年の空気を感じ取っているということ、これがこの文章のメインテーマであることには変わりはない。この意味を多くの人に知ってほしいと思う。
作成:Sanshiro 2014.09.11 更新:2014.09.28

< 前の月 | 次の月 > | このページのTOPへ↑