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「『はだしのゲン』問題にみる現代日本の弱さ」と題した黛まどかさんのコラムに、わたくしは「やられた!」「抜かれた!」と心で叫んでいた。
http://www.kosonippon.org/mail/index.php

抜かれた――というのは他社に特ダネを先駆けされたときに、スクープされた側のジャーナリストが無念の意味で使う業界用語である。つまり黛さんに、わたくしは先を越されてしまった、後塵を拝してしまった、と悔しがったというわけだ。

同時に「二番手につけよ」という古株の先輩の言葉を思い出していた。ジャーナリズムは抜いた、抜かれたの世界である。だから抜かれることはある。その時は恥を忍んでも追いかけろ、二番手につけろというのである。その先輩は競馬が大好きだった。

わたくしは黛まどかさんに1日遅れで、追いかけるべく書いている。ネット上の言論にも抜いた、抜かれたはあるのである。ちょっと恥ずかしいけれどもこれは二番手につけなければならない重要なテーマだと思う。

シンクタンク「構想日本」のニュースレターで、黛まどかさんの小論文が配信されたのは9月12日。「新しい歴史教科書を作る会」が、下村博文文部科学相に「『はだしのゲン』は天皇を批判し、旧日本軍についての誤ったことを書いている有害図書であるので教育現場から排除するよう要請書を提出した11日の翌日である。名指しはしていないものの狙いは明白だろう。

わたくしは2020年のオリンピックが東京で開催されることが決まった早朝、これで安部晋三自民党政権はしばらく安泰で、長期政権もあり得る。自民党が掲げている天皇元首の憲法改正も、経済のオブラートをかなぐり捨てて政治の表舞台に出てくるだろうと考えた。

案の定、「新しい歴史教科書を作る会」の漫画『はだしのゲン』抹殺の要請書である。提出先は自虐史教育の粉砕を公然と主張する下村博文文部科学相だ。いよいよ憲法改正政局の幕開けとみていいだろう。

黛まどかさんがエライのはこの機を逃さずにタイムリーに書いたことである。わたくしはといえば、いよいよ言論の自由の拘束がおおっぴらに本格的に始まった、これはなんとしても反撃しなければならないと決意はしながら、広く一般の人に門戸を開いている電子出版社の社長としてはどうだろうか、と天秤にかけていた。我ながらあさましい。

日本中がオリンピック開催の決定で湧きかえるや、安倍政権が経済政策を隠れ蓑に秘かに進めてきた最大の政策課題が臆面もなく姿を現した。象徴としての天皇を元首にする実質的な天皇制の復活こそが、憲法改正の最終目標だとわたくしはみている。これはなにも秘密ではなく自民党が掲げている公約である。

安部政権は4月20日を主権の日と定め、天皇皇后両陛下を招いて万歳三唱して着々と布石を打ってきている。中国、韓国が警戒し、東アジアの緊張を高めている所以だ。アメリカなどはこれによって第二次大戦後の東アジアの秩序であるヤルタ・ポツダム体制が崩れて流動化することを心底、懸念している。

安部自民党政権の憲法改正の公約についてはわたくしも心配している。これだけ安全保障上の危険が高まっているからには日本が防衛力を強化するのは当然としても、それから先の改憲には賛同できない。理由はいくつかある。

1)国家主権を振り回す先には戦争がある。ヨーロッパ連合(EU)が加盟国の国家主権を制御して戦争をなくしたように国家のあり方が変わってきている。
これについては拙書「ノーベル平和賞の超国家EUの知恵」(eブックランド刊)に詳しく書いている。
http://www.e-bookland.net/gateway_a/details.aspx?bookid=EBLT13030500&c=55

2)戦後民主主義で育った筆者には、万世一系の皇統の歴史観はない。日本には三内丸山時代からの連綿の歴史があり、天皇家が日本を統一した後も室町、鎌倉、江戸時代には武家の政治が行われた。明治維新で薩摩と長州が幕府を倒すために錦の御旗を押し立てて公武合体を編み出し天皇制を樹立したが、その立役者西郷隆盛は後にそれに反発して離反した。

3)明治・大正・昭和の大日本帝国は富国強兵で列強とよく競り合った。この間、日本の政治は天皇の御聖断を仰がなければ動かないようになり、明治維新のときに人々が願った民主主義の日本とは異なる政治体制の国になってしまった。軍部には政治家を軽んじて天皇だけに忠誠を誓う勢力が台頭して、第二次世界大戦に突入する。ここに至って絶対の天皇制は宗教の域に至った。

4)世界の潮流は政教分離である。絶対の神を奉じる神権政治と民主主義は両立しない。中東ではイラン革命以降、絶対の宗教への回帰が急だが、その結果、至るところで紛争が続いている。中東最大の国エジプトでは軍事政権が事態を掌握するに至った。これでイスラム圏の政治の流れが変わるかどうか。

5)日本において天皇制を復活させることは、同時に戦前の天皇制の下で権益を享受した勢力の台頭を呼ぶことになるだろう。それは中東で神権勢力と民主主義勢力が死闘を演じているように、日本においても深刻な軋轢を生むことがあるのではないか。始まった言論統制の機運にはそうした事態を封じ込める狙いがある。

安部首相が右翼・ナショナリスト(米知日家アーミテージ元米国務副長官発言)呼ばわりされるのは、グローバルに世界の政治動向を見守るシンクタンクの研究者の中に、わたくしと同じように世界情勢を踏まえて考える人がいるからである。

日本国内では、主要メディアが政府にすり寄っているために、こうした論調がなかなか示されることは少ないようだ。それでも報道する現場の記者たちは戦争を知らない戦後民主主義の育ちなのだから、奮起してもらいたいものだ。この論戦は幕を開けたばかりだ。

2013年9月13日 記



作成:Sanshiro 2013.09.13 更新:2013.09.14

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